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本日は二十日正月である事をご存知ですか?

2019.01.20

マイタウン西武のブログをご覧の皆様、こんにちは。
用地仕入部の萩生田です。

新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

さて、本日1月20日は二十日正月です。
ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、
本日でお正月は終わりを迎えますので、
簡単に二十日正月のご説明をさせていただこうと思います。
 
二十日正月とは?
 
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松の内が明けて、成人の日も過ぎ、
暮らしも仕事も通常モードになった頃、
『二十日正月』があります。

120日は二十日正月の日
二十日正月は、お正月の終わりとなる節目の日です。
「終い正月」や「正月納め」とも呼ばれます。

本来お正月というのは、年の初めにあたって、
一年間家を守ってくれる歳神さまを迎える行事です。

二十日正月の1月20日は、お正月にお迎えした歳神様たちが、
それぞれの居場所にお帰りになる日と考えられており、

正月事始め(前年の12月13日)

松の内

人日の節句(1月7日:七日正月)

鏡開き(1月11日 1月15日)

小正月(1月15日)
と続いてきた一連のお正月行事が、
二十日正月の、この日をもって終了するのです。
お正月に関する行事は、年をまたいで1か月以上も続くんですね。

1月20日の早朝にはすべての歳神様たちお帰りになるので、
二十日正月にはお正月の飾り物などは全て片付けて、
正月行事を締めくくります


二十日正月は、『松納め』『正月送り』『あがり正月』ともいい、
昔は正月の祝い納めとして、仕事を休む慣わしもあったようです。
1月20日に休めるなんてウエルカムですよね^^

現代ではここまでお正月気分でいることは
なかなかムズカシイところですが、今でも地域によっては、
二十日正月には歳神様がお帰りになるということで、
前日の1月19日の夜に、尾頭付きのお膳や、
小豆御飯をお供えする地方もあります。

他にも、二十日正月の日に特別に食べる料理、
行事食を作る地方もあります。
 
二十日正月に食べる食べ物は?
 
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二十日正月の食べ物は地方によって違います。
代表的なものをお伝えしますね。

二十日正月は「骨正月」

二十日正月を骨正月(ほねしょうがつ)』と呼ぶ地方があります。

これは、「お正月用にと、年末年始に用意し準備した
鰤(ぶり)や鯛、鮭などの魚が、お正月を終えるこの頃には
食べ尽くされ、骨のみとなっている」ということから、

お正月料理の最終行事として、残った魚の頭や骨を、
根菜などと一緒に煮て残らず食べたことに由来
します。

 
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現代では、料理の具材は、お正月料理に使った魚類のアラを
この日まで取っておく場合もあれば、
あらためてアラを購入して作ることもあります。

鰤や鮭のアラで大根を炊いたり、
大根煮ではなく、酒粕と一緒に炊いた粕汁にしたりします。

「最後に残るのは骨と頭」となるので、
『骨正月』の他に、『頭正月(かしらしょうがつ)』とか、
『骨崩し』とも呼ばれるようです。
 
二十日正月は「麦正月」
 
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1月20日の二十日正月には、
麦正月といって麦飯を食べる慣わしもあります。

昔はこの日に麦飯だけを食べていたようですが、
その上にとろろをかけて食べるようになり、
麦ごはんととろろの組み合わせは西日本でよく見られます。

かつての日本の農業においては、春から秋にかけて米を作り、
秋に収穫してから翌年の春までは麦などを作っていることが多く、
二十日正月の麦飯には、
米以外の作物の豊穣を祈る意味もあったと考えられています。

ちなみに、栄養的に優れ、おいしい麦飯の米麦比は
3対1だといわれています。
おうちで麦飯を炊くときの参考にしてみてくださいね^^

二十日正月の「ふなんこぐい」
 
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二十日正月には、魚の骨(アラ)や麦飯以外にも、
その地域ならではといった行事食があります。

たとえば、佐賀県鹿嶋市の鮒(ふな)の昆布巻き。
地元ではふなんこぐいといって、
二十日正月にお供えする慣わしがあります。

「ふなんこぐい」は昆布で巻いた鮒を
ダイコンやゴボウなどと一緒に煮込んだ郷土料理。

この「ふなんこぐい」に使う鮒や野菜を売る『ふな市』が、
毎年1月19日に肥前浜宿酒蔵通りに立ちます。

ふなんこぐいは、その昔、商家や酒造元、網元などが、
奉公人や蔵男たちを主座に据えて労をねぎらい、
ご馳走を振舞ったのが始まりとされています。

それが、商売繁盛や一年の無事を願うものとなり、
室町時代に今の形になったといわれています。

普通、このようなお祝いの席では鯛料理が出されますが、
佐賀県のある有明海ではあまり採れない上、鯛が高価だったことから、
鯛によく似た鮒を代用したのが始まりと考えられています。
 
二十日正月は鏡開きの日?
 
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鏡開きは、お正月に歳神様にお供えした鏡餅を、
お雑煮やお汁粉にしていただくことによって、
一家の今年1年の円満と無事息災を願う行事です。

この鏡開きが行われるのは一般的に1月11日が主流ですが、
もともとは二十日正月の1月20日に行われているものでした。

当時の名称は「鏡開き」というより、
武家では「具足開き」や「具足祝い」と呼ばれていました。

「具足開き」・「具足祝い」というのは、
戦国時代や江戸時代の武家社会で、
お正月に武士の魂とも言える鎧・兜などの甲冑(かっちゅう)の前に
供えた『具足餅(ぐそくもち)』をおろして、槌(つち)などで
割って食べた年中行事で、鏡開きのルーツとされています


なぜ1月20日が具足祝い・具足開きの日として
選ばれたのかには諸説ありますが、
刀の刃(は)と柄(つか)の語呂にかけて、
『刃柄の祝い(はつかのいわい)』=20日(はつか)の祝い
と定められたという説があります。

ところが、江戸時代に徳川家の三代将軍家光が
4月20日に亡くなったことで、
家光の月命日である20日という日付を避けて、
鏡開きを1月11日にずらしたとされています。

今でも、地域によっては鏡開きを1月20日に行うところがあります
 
二十日正月とはどんな意味?由来と食べ物や行事食をご紹介! まとめ
 
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1月20日は二十日正月の日です。

二十日正月は、お正月の終わりとなる節目の日で、
お正月にお迎えした歳神様たちが、
それぞれの居場所にお帰りになる日と考えられていることから、
1月20日の二十日正月にはお正月の飾り物などは全て片付けて、
正月行事を締めくくります。

二十日正月の日に、お正月に用意した魚を
食べつくすという意味合いの料理を用意することから、
「骨正月」と呼ぶ地域もあります。

他にも食べるものによって、「麦正月」など地方ごとに名称が異なります。

まだ、お正月に用意したお餅や食材が残っていたら、
感謝の気持ちをこめて、二十日正月に食べきってしまうのもいいですね。
 
弊社は、ご購入と同様に、ご売却でもお客様にご満足いただけます様、
スタッフ一同日々頑張っております。
お近くへ起こしの際は、是非弊社にお立ち寄り頂けましたら幸いです。


<お問合せ>マイタウン西武 0120-612-622

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